| パニック障害においては突然に以下のような発作がみられることが知られております。1.動悸、心悸亢進、または心拍数の増加2.発汗3.身震いまたは震え4.息切れ感または息苦しさ5.窒息感6.胸痛または胸部不快感7.吐き気または腹部の不快感8.めまい感、ふらつく感じ、頭が軽くなる感じ、または気が遠くなる感じ9.現実消失感(現実ではない感じ)、または離人症状(自分自身から離れている)10.コントロールを失うことに対する、また気が狂うことに対する恐怖。11.死ぬことに対する恐怖12.異常感覚(感覚麻痺またはうずき感)13.冷感または熱感以上のような症状が特定の場所(電車、車内など)あるいは場所を問わず現れるときにはパニック障害を疑います。このような症状の本体は自律神経系の失調が考えられております。また上記のような症状の他にも頻回の尿意を催される方、下痢と便秘を交互にくり返される方もおられます。最近では、自立神経系に作用する安定剤あるいは抗うつ薬が開発され、比較的容易に症状に対する治療が行われるようになりました。しかし既にパニック発作に対する治療をうけておられる方の中には、今一つ不安感が拭えないとお考えの方がいらっしゃるのではないでしょうか?それは、確かに上記の様な発作が理由で心療内科を受診されるのでしょうが、原因はまた別のところにあることが多いからです。その原因については複雑ですので適切なカウンセリングを受けられることをうけられることをお勧めします。うつ病にてよく自覚されます症状を以下にお示しします。1.いつもより早く目がさめる2.朝起きたとき陰気な気分になる3.朝いつものように新聞、ラジオを見る気にならない4.服装や身だしなみにいつものように関心がわかない5.仕事にとりかかる気になかなかならない6.仕事にとりかかってもなかなか根気がつづかない7.決断がなかなかつかない8.いつものように気軽に人に会うことができない9.何となく不安でいらいらすることがよくある10.これから先やっていく自信がない11.「いっそこの世から消えたい」と思うことがよくある12.テレビがいつものようにおもしろくない13.さびしくて誰かに傍らにいて欲しいと思うことが最近よくある14.涙ぐむことが多い15.夕方になると気持ちが楽になる16.頭が痛かったり、痛んだりする17.性欲が最近は落ちている18.食欲が最近は落ちている以上のような症状がみられるときうつ病に陥っておられる可能性があります。うつ病に罹るきっかけは様々ですが、例えば職場での環境の変化、特に厳しいお役柄への御転属、御友人や御家族の人の死亡あるいは御結婚、御定年、受験、失業、身体的な病気、女性の場合には御出産、育児、更年期、御家族に対する介護など皆様が責任を強く意識せざるをえないとき、あるいは背負っておられた責任から急に解放されたときにしばしば発病することが多いようです。うつ病の治療法といたしましては最近では優れた薬物も開発されており、SSRIあるいはSNRIといったお薬が薬理学的には効果があるといわれております。また精神療法、認知行動療法、精神分析などの治療方法も発達しており、薬物と同療法の併用が望ましいと考えます。転換性障害なんらかの心の葛藤、悩みあるいはストレスが存在しており、それらを強く意識した後に失神、痙攣、麻痺、感覚の消失を一過性にきたす障害です。このような症状がみらるのも圧倒的に女性が多く、ほとんどの方がその方特有の深い悩みを抱えておられるものと存じます。もちろん薬物治療も大切ですが、その悩みを勇気を持って打ち明けられ、できるだけ解決されるようになさることをお勧めします。統合失調症。その原因は今なお不明な点が多いのですが、症状の特徴としては以下のようなことが知られております。1.声の形での幻聴とそれにたいする応答2.自分の考えが他人に伝わってしまう、ばれてしまう3.他人の考えが自分の考えの邪魔をする4.電波のようなものがかかってきて自分の考えや行動の邪魔をする5.記憶の取り違え、周囲に対する常識のずれ、先のことにたいする過った想像6.人前で自分を保つことが難しく、不安、恐怖にかられるこれらの症状は、御本人様が気付かれることはめったになく御家族の方がみられて、気付かれることが多いと存じます。発病年令は15歳〜50歳までとされており、特に思春期〜青年期に多いことが特徴です。このような症状に気付かれた方はできるだけ早期に心療内科を受診なさることをお勧めします。現在ではこの疾患に対し非常に効果のある薬剤が多数ございますので早期であればあるほど回復も早く、完全に社会復帰が可能となる方も大勢おられます。またこの疾患を罹っておられる方も、この疾患ゆえに人生の可能性に乏しいとは絶対に思われるべきではないと考えます。場合によってはこの疾患ゆえにいい意味で独自の才能を発揮なされる方すらおられます。不安障害。しばしば環境的ストレスと関連して、不安感が出現し、持続するものです。この不安は、さまざまな対象と結びつき、それは例えば対人関係、将来の人生についての悩みとして自覚されます。これらが、社会生活、就業、就学を困難としている場合を、不安障害といいます。そわそわとした落ち着きのなさ、めまい、動悸、窒息感、発汗、振戦などの自律神経過活動を伴うこともあります。永く続く不安感により次第に憂鬱な気分におちいることが特徴です。強迫性障害。反復し、また持続する強迫観念(手を何回も洗わなければならない、何十回も同じところを掃除する、あることを何度も何度も確認しないと気が済まない、一つでも手順を間違えると一から完壁にやりなおさなければ気が済まない)が感じられしかもその強迫観念あるいは強迫行為のあいだに強い不安や苦痛を感じる体験です。しばしば強迫観念をさけるために御本人様はこの観念を考えることを無理に止めようとしたり、何か別の事を考えて注意をそらそうと努力されることと存じます。これに加えてもう一つ方法がございます。それは逆に本当に馬鹿馬鹿しいと当初お考えになられるかもしれませんがその強迫観念に対しもっとその行為を行ってしまおうと心の底から思いながら行動してみることです。以外とこのやりかたにて強迫観念が軽くなることがございます。吃音(どもり)。正常な会話が人前、会議などで流暢にできず、時間的構成が困難になることで、以下の一つ、またはそれ以上のことがしばしば起こることで特徴づけられます。1.音と音節の繰り返し2.音の延長3.間投詞4.単語が途切れること5.聴きとれる、または無言の停止(音を伴ったあるいは伴わない会話の休止)6.遠回しな言い方(問題の言葉を避けて他の単語を使う)7.過剰な身体緊張とともに発せられる言葉8.単音節の単語の反復(例;て-て-て-てがいたい)流暢さの困難が学業的、職業的成績、または対人的コミュニケーションを阻害している。これらの症状は蓋〜咽頭の器質的な異常によるものではなく、流暢な会話を可能にしている視床下部を頂点とした交感神経の過緊張が原因といわれており、これに「会話に失敗したらどうしよう」という恐怖感が結びつくという心身的悪循環を形成しているのが病気の本体と考えられます。交感神経の過緊張を抑制し、恐怖感を取り除くことで治療可能です。書痙(本態性振戦)正常な書字が人前、重要な局面でできず、次第にペンを持つ手が振戦をおこしたり、字が小さくなっていくものです。これは上手く書こう書こうとすればするほど字は歪み、線は揺れ、字そのものが小さくなるのが特徴です。書字には視覚、視神経、高次脳機能、運動神経が関与しておりますが、これとは別に交感神経が字を流暢に書くのに大いに作用していることが知られております。交感神経の緊張が書痙を引き起こし、これに「上手い字を書けないとどうしよう」という恐怖感がまた交感神経緊張症状である書痙を強めるのが特徴です。この交感神経の亢進を抑制し、恐怖感を取り除くことで書痙の治療が行なえます。多汗症、赤面症。緊張すると手のひら等に多量の汗が出てしまう、もしくは緊張で皮膚が紅色になる症状をさします。多汗症は自律神経の一種である交感神経の過緊張による皮膚汗腺の分泌増加、赤面症は副交感神経による皮膚毛細血管の拡張が関与していると考えられています。これらの症状が一旦引き起こされると、その症状に対し「また汗がでてきた」「また顔が赤くなってきた」という恐怖感を感じ症状を現実に悪化させるという悪循環が形成されます。治療法としては交感神経、副交感神経を抑制するお薬や、恐怖感を取り除くお薬が有効です。性的神経症的反応(男性更年期)。わずか1回のとるにたらない偶然の性的な失敗(健康な男性でも起こりうるように)によって自分の性的能力の自身を失う疾患です。一度自信を喪失すると、性交を希望した時、要求された時、また失敗するのではないかという不安にとらわれるようになり、性的神経症の病像が完成してしまいます。また最近では上記、心理学的了解のほかに、医学的な見地から性腺機能障害が指摘されております。これは造精能にとって重要な働きを示す精巣からのテストステロンというホルモンの分泌不全が注目されており、このホルモンの補充療法、勃起不全治療薬の併用が効果的な場合もあります。上記補充療法に加えて心理療法としては、性交から要求的性質を奪ってしまい、性交を計画立て行うのではなく、断片的な愛撫や、前戯のみにわざと制限し、自然に性交渉が成立するのを待つということが有効です。頭痛を自覚される方の80%以上は器質的な病変を認めないものです。器質的な病変とは、くも膜下出血、脳出血、随膜、慢性硬膜下出血、頚椎症、側頭動脈炎、リュウマチ性多発筋痛症、脳腫瘍あるいは良性頭蓋内圧亢進などです。一方頭痛を訴えられる方の80%以上は非器質性のもので、主に外頸動脈の枝である頭皮、皮下組織にある血管の収縮、拡張によって起こる頭痛、すなわち、1、片頭痛2、群発頭痛あるいは頭蓋の筋肉の収縮による1、筋緊張性頭痛が知られております。診断は、家族歴、痛み部位、程度、性質、発現時期、ズキンズキンとする拍動性か、持続性か、持続時間などが重要です。非器質的な頭痛の中で、最も頻度が高いものは筋緊張性頭痛で頭全体に、または後頭部〜頭頂部にかけて痛みが感じられることが多く重苦しく感じられ、持続性で、一日中いつでも起こることが特徴です。青壮年期多く、天候の影響、睡眠不足、精神的緊張が誘因としてあげられます。筋緊張性頭痛ではまず精神的緊張の軽減、十分な睡眠が重要ですが、不十分な時には、一般的な頭痛薬に加えて、筋弛緩薬、抗不安薬を用いることが有効なことがあります。皮下組織にある血管の収縮、拡張によって起こる頭痛では上記1、片頭痛2、群発頭痛があり、片頭痛とは、家族の方の中に同じ様な頭痛を訴えられる方がしばしばみられ、若い女性に多く通常は左右片側性で、ズキンズキンとする拍動性で、時に痛みの部位が移行する、顔面のほてりや、流涙、嘔吐、光りに過敏をともなうことがあります。また、月経の周期に関与していることもあります。治療としては、予防には、ステロイド、βー遮断薬、Ca拮抗剤を用い、発作時には酒石酸エルゴタミン、抗てんかん薬、鎮痛剤、最近ではトリプタン製剤が使用されています。群発頭痛は男性に多く認められ、夜間に多く、刺すような痛みが一側の眼の奥や、側頭部に見られます。持続時間は20分から1〜2時間で、1日に2〜3回、数週〜数ヶ月にかかって群発します。季節としては春と秋に多く、鼻汁、流涙、嘔吐を伴うこともあります。過労やストレス、昼寝が誘因となることがございます。治療法は片頭痛とほぼ同様です。気分変調症。この疾患はうつ病性の障害を満たほどの程度ではないのですが、慢性抑うつ気分を自覚される事が特徴です。しばしば数カ月間続く疲れと抑うつを自覚され、何ことを行うにも努力を要し、楽しいことは何も無い、考え込みまた反省して考え決断がつかない、不眠がちとなる、しかし日常生活は何とかやっていけるという症状が特徴です。この疾患の場合、適切な薬物療法及び精神療法、認知行動療法などの心理療法でかなり改善することが期待できます。急性ストレス反応。あるストレス、例えば愛する人との死別、患者様御本人もしくは身近な人の安全あるいは身体的健康に対する重大な脅威(例えば自然災害、人口災害、事故)などの外傷体験が重なること、肉親との死別、自宅の火災のような、患者さんを取り巻く社会、立場、人間関係の突然かつ驚異的な変化がこの障害を引き起こします。また引っ越し、永年お勤めになられたお仕事(課題)への従事など驚異的とまではいえずとも、患者さん本人にとっては急激な環境の変化が誘因となることもあります(引っ越しうつ病、根こぎうつ病、負荷うつ病)症状といたしましては多彩であり、抑うつ気分、不安、心配、症状の中で対処し、計画、あるいは継続することができそうにない感じ、あるいは日課の遂行がある程度障害されることも含まれます。この疾患の場合にも、適切な薬物治療及び精神療法、認知行動療法などの心理療法でかなり改善すりことが期待できます。高齢化社会が進行し、高齢者の方の人口が増加する中、痴呆症に罹患なさる方が増加されておられます。痴呆症をひきおこす原因はさまざまなのですが皆様のよく御存じのようにアルツハイマー型老年痴呆症や脳血管性痴呆症がよく知られております。痴呆症は健忘、失見当識、判断の障害(外出するとき雨がふってくればどうされますか?と聞いてみられればよいと存じます)、思考の障害(バナナとミカンの違いは?と聞いてみられればよいかと存じます)、失語(言葉が理解できない、言葉がしゃべれない)、失行(指示にしたがって動作ができない:例歯ブラシで歯を磨くように伝えても上手くできない)、失認(親しい人を取り違える)、人格の変化、感情が激しくなったり逆に無感動になったり、意欲がなくなったり、行動のつじつまが合わなくなったりすることで示されます。学問的な問題はともかくとしまして痴呆症を考える上で最も問題となるのはその御家族の方の御負担と存じます。痴呆症を発症された患者様をかかえておられる御家族は、その患者様の変わり様に当初ひどく驚かれ、また困惑なさいます。さらに患者さんが今まで常識的にできておられたことができなくなり、また問いかけに対する返答もあいまいとなり、それを無理に御家族の方が止めようと注意すると、患者様が激しい怒りに代表されるような感情の爆発を起こされるのを御経験なさっておられるのではないでしょうか?このようなケースに対して、簡単にその対処方法をお話申しあげます。痴呆症のタイプによってもすこしづつ違うのですが、大切なことは患者様御本人のおっしゃられること、なされることをあまり否定なされないことです。御家族の側からみられて常識的に間違った言動や行動であっても、患者様御本人なりには尚その言動や行動に意味をお持ちだからです。御家族の方でも御自分が正しいと思われてとった行為を否定されますと御立腹なされるように痴呆症の方もその方独自の世界に生きて判断されておられるでしょうから。 | 患者様御本人がその矛盾に気付かず、非論理的な行動をとられても決して言葉や理屈のみで説得するのではなく、心や気持ちで説得なされることをお勧めします。つねに患者様御本人となじみの関係を維持(御家族といえど放置すれば患者様御本人は忘れられるので)し、本人様のペースにあわせて繰り返し、指導なされていることを本人様に悟られることなく誘導することが大切かと存じます。また患者様御本人の御性格は痴呆症になられたとしましても、長期にわたって保持されることが多く、ちぐはぐな行動や言動の中にも病前の持ち前の人のよさ、優しさが溢れておられることがしばしばありますので、そういった側面を特に大切にされて接せられると御家族の方も御本人様の違った一面が見えてこられお気持ちが軽くなられるかと存じます。皆様は、お仕事のことでなにかとお悩みの方が多いのではないでしょうか?お仕事においてお悩みになられる原因には、お仕事そのものの内容と、お仕事の上での対人関係が皆様にとって問題であることがしばしばあります。1. そのお立場上、非常に責任の重いお役柄につかれておられる方が、その責任の重みに耐えかねて苦悩なさっておられるケースがございます。このような御事情でお悩みの方はその御職業に非常に強い使命感を御自分にお感じになられておられるのではないでしょうか?御自分自身の身を犠牲にされ、御職業に忠実であればあるほど、実は、人は悩むものではないでしょうか?時には責任の重さ故に逃げ出したくなる自分と、仕事において頑張らなくてはならないという義務感が、気持ちの中で交叉しこのような悩みを生むものと考えられます。お仕事にてこの様にお悩みになられる皆様はとても責任感の強い立派な御人格の方です。仕事で悩める皆様は、現代の企業、共同体で一番必要とされる方と申し上げることができます。ただ、あまりにも仕事のみに気持ちを傾けるのは避けたほうがよいようです。人は確かにその職業に、自分の生きがいの一つを求めます。しかしその仕事をなんのために行うのかということも大切ではないでしょうか?家族のため?出世のため?報酬のため?その理由はたくさんあるように思います。しかし、もしその人が仕事に倒れてしまったら、御家族の方はどんなにかなしまれるでしょう?まずその人が健康で過ごされることが大切です。あるいは報酬や出世についてですが、報酬や出世はだいたいにおいて結果であり、それを得よう得ようとすると得れないものではないでしょうか?不思議なものですが、これらはあまり目標にしない方が結局は上手くいくことが多いようです。あまり、そのお役柄に囚われず、皆様自身を仕事においてできるだけ表現しようとお考えになられること、お仕事につかれている以外の時間にも御自分の存在意義もあるのだということをお考えになられることをお勧めしこの章を終えさせていただきます。2. 現在のお仕事があまり御自分には適していないのではないかと悩まれる方もおられることと存じます。確かに現代において、やりがいと職業が一致するような仕事はあまり多くはないと考えます。あるいは不本意な配属転換、転勤により、今までやりがいを感じていたお仕事を断念せざるを得ないお感じになられておられる方も多いのではないでしょうか?確かにやりがいを感じられないお仕事をされることはつらいことと存じます。いくら報酬が貰えたとしてもなかなかそれだけでは、人は満足できないものです。それはもっともなことと存じます。このようなケースの場合、どう対処すればいいのでしょうか?一つの対処方法として、その仕事を続けることにより、皆様御自身が大切に思われるもの、それは御家族、趣味、将来の夢なんでも結構かと存じますが、そのために頑張ろうと強く確信をもたれることです。もはや仕事にはやりがいを感じられないけれども、自分が大切に思う事物のためにやろう!と。あるいはこう御考えになられることはいかがでしょう?「さて自分は大変困難な状況に仕事の上でたたされている。今の自分でこの状況でまだなにができるのか?あとの判断は会社(共同体)に委ねよう。後悔だけはしないようにしよう。」と。案外こう思われてお仕事を続けておられるうちに、またそのお仕事に別の意味でやりがいをみつけることができることがあります。お仕事の上での対人関係でお悩みの皆様のためにお仕事におかれましては、その内容もお悩みのひとつでしょうが、対人関係はもっと悩みの種になりがちです。才能をお持ちでありながら、お力を発揮できないとお感じの皆様には、実はこの対人関係でお悩みの方が多くいらっしゃるのではないでしょうか?対人関係...これは人に独特な問題の一つです。人は大脳の発達とともに、理性、知性、そして意識を獲得してまいりました。この意識がここでは問題です。人はこの意識により自分の周りの環境、人物に自分から見た意味を創造します。対人関係とは、すなわち皆様御自身がだれか他の人をその意識のなかに、引き受けることです。御自分の意識に御自分と異なる他の人の意識の侵入を許すのでしんどいことです。ではどのようにすれば対処できるのでしょうか?一つの対処法として、皆様がお悩みになられているその相手の人も実は、だいたいにおいて自分自身に悩まれておられるということをお考えになられることをお勧めします。もし御自分がその悩まれている他の人の立場になったとして考えてみましょう。その人が御自分にいろいろ言ってこられる理由が思い浮かばないでしょうか?案外そのひとが皆様を意識するのは皆様に対する嫉妬や羨望そこまでいかなくても皆様の持つ魅力、能力に対する畏敬の念であることも多いのではないでしょうか?もし仮にも皆様に対する中傷の念を抱いている人がいたとしてもあまり気になさる必要はないのではないでしょうか?もし皆様御自身がそういう人と逆の立場となったと仮定してみて御自分自身のことが好きになれるでしょうか。その噂を聴いた人も同じ気持ちです。つまり恥をかくのは皆様に対しあらぬ中傷をおこなったその人ではないでしょうか?お仕事そのものに没頭したとき周囲の人や我も忘れて取り組んでいたということを経験されたことはございませんでしょうか?お仕事の上では皆様御自身の責任を果たすだけ、そのために、仕事上の関係の人とは例え皆様に対し万一悪意をもっておられる人がおられたとしても、そのようなことは意に介さず誠意をもっておつき合いしようとだけできるだけ考えられればいかがしょう。結局その方は人望を得られる方が多いようです。そもそも恋とはどのようなものでしょうか?愛とはどのようなものでしょうか?「とにかく人を好きになるということ」には皆様も御同意していただけるかと存じます。では恋と愛はどう異なるのでしょうか?恋というのはある異性の部分的な特徴を好きになることではないでしょうか?例えばその人の優しい御性格、逆に激しい気性、聡明さ、豊かな知性、社会的な地位、容姿、身体の部分的特徴などその相手のもつ部分的な特徴を好きになることと解釈されてはいかがでしょうか。一方愛とは恋の持つ部分的な特徴を通り越し、その人そのものすなわち全人格を御自分と共有することといえるのではないでしょうか。すなわち恋においては相手のもつ特徴を好きになられているかぎり、その相手のことを好きであるという自分自身のお気持ちを自覚なさることができるのでしょうが、愛にまで深まると御自分と相手との人格までも共有することとなり、しばしばおつきあいが時間的にも長くなり、感情的にも深くなりすぎ、その人を愛する御自分の気持ちにお気付きにならなくなるものです。誠に不幸なお話ですが、しばしば恋から愛にお二人の関係が深まった後に、お二人とも「愛」という御自分の気持ちに気付かず、何となくこの人と共にいるのはうとましいと一時考えてしまわれ、相手をなんらかの事情で失ったとき、御自分がなんと相手のことを愛していたのだろうと初めてお分かりになられたということがございませんでしょうか。いわゆる「ああそうだったんだ」体験とよばれるものです。このことからしても愛は本来意識できないもので、それは結果であり目的ではないものなのでしょう。実は愛とは無意識的なもので、その愛する気持ちを意識することなく、相手のために御自分が我慢するという犠牲を払わなければならないためしばしば「苦悩」を伴います。結婚後間もなくしてお互いに失望される原因は実はお二人が愛の関係まで深まっておられなかったか、愛に伴う苦悩の感情からではないでしょうか。また御結婚後子供さんをもうけられた後に、または相手の方の浮気(浮気をなさっておられる方も)、暴力をふるわれた(暴力をふるう方も)自分は無益な結婚をしたのではないか?お二人の関係が愛ではなかったと悩まれる方もおられるかと存じます。いずれかの理由に致しましてもこの悩みをただ率直に解決することは破局という結果を招くことが多いようです。例えばお二人の関係を維持するにあたり、お互いが何とか許せるところは許すことはできないものか、お互いの立場(の違い)を認めあうことができないか、あるいはどうしても相手の方が許せないならお二人のおこされた奇跡であるお子さんのためになんとか関係を維持できないものか、話し合われることをお勧めします。女性の皆さんは相手の御主人様の浮気そして離婚により、うつ病や過食症やパニック障害に陥ることがあります。それはもっともです、御自分の存在意味を否定されたのですから(対処法については書面の関係で割愛させていただきます)。また姑さんとお嫁さんの問題も深刻です。お一人は御主人様をお生みになられた証人でしょうし、お一人はその人(御主人様)を愛した皆様方本人でございます。御主人様がその立場の違いから姑さんとお嫁さん、お二人にあいまいな態度をとっておられたとしても、それは上記の事実からして仕方がないことなので、お互いの立場を尊重なさることが大切ではないでしょうか。それぞれに別々の役割がございますでしょうから。もっとお若い方が相手の気持ちが分からず、御自分の恋心がお相手に伝わらず悩まれることもあるのではないかと存じます。またおつきあいされておられる男性が自分と異なるタイプの人を好きになられたり、逆に自分自身が違うタイプの男性を好きになられ、悩まれることもあるのではないでしょうか?その際、皆様が悩まれているのはその人が持つ部分的な特徴のどの部分を一番大切にすればいいのかという問題に帰属するのではないでしょうか。どの部分的な特徴を好きになられるかはもちろん皆様の御自由です。ただ参考までに申し上げれば、もちろん容姿端麗、話が楽しいという特徴も大切には違いありませんが、その特徴よりはもう少し遅れますが結果として幸福感をお二人にもたらすことのできる特徴としては男性においては責任感の強い人、女性においては献身をいとわない人かもしれません。この男女に個別の特徴が男性女性双方に落ち着きをもたらしてくれるものかもしれません。(心理療法士による治療を行います)現代ではその生まれ、育ちのために自分は生きる意味を見い出されないとお嘆きになられる方が大勢おられます。人間は確かに自分の親を持ちまた子供といわれる期間は親あるいはその他の誰かのもとで養われて成長します。両親の離婚、御両親の不和、虐待をうけたり、愛情を受けることができず無視された環境で、子ども時代を過ごさざるを得なかった体験を持つ人がおられるのではないでしょうか。いつも御自分が何のために生まれてきたのか、なんのために生きているのか、常に見捨てられている気分になる。私は他の人のよう に親の愛を受けていない不幸な人間だというお考えに常に悩まされてはおられないでしょうか?これがもとで時には自殺したくなったり、現在の立場を投げ出してしまいたくなることがし ばしばあるのではないでしょうか?このようなお悩みをお持ちの方にお聞き頂きたいことがございます。 貴方様の御両親は確かに貴方様を出産なさった証人ではありま す。しかしその誕生は御両親のおこした奇跡ではあるでしょうが、貴方様に両親を選択する責任がある訳ではございません。貴方様はこの世に運命的に生を授かり、誕生なさったのです。 貴方様の人生は貴方様の御両親のそれとは基本的に異なる貴方様独自の価値あるものでございます。万一生まれや育ちに貴方 様なりに問題が大いにあるとお思いでも貴方様の人生はそれでもその問題を超えて意味があるのです。その意味は貴方様にしか属さず、他の誰からも軽んじられるものではございません。 もし万一、貴方様が生まれや、育ち、環境のためになんらかの制約を被っていると仮定しても貴方様がその運命の制約のなかでとりうる態度は全く貴方様の自由なのです。運命、宿命それ はたしかに人の手ではかえがたいものかもしれません。しかし 御自分独自の運命を他の人のそれと比較しても全く無意味です。一卵性双生児が同じ両親から生まれ、同じ悲劇的な環境で 育ち、結果一人は大犯罪者、一人は犯罪を取り締まる裁判官に なった例もあります。またある花の実を食べた鳥がその種の入った糞を一つは水のたっぷりある平たんな地面に、もう一つを急な岩壁の斜面におとし、最初の種はその落とされた場所が幸運なため横に広がりすくすく育ち花をつけ、後者の種はそのきびしい運命的な環境の故に苦労して成長して花を咲かしたと して、人はどちらの花に感動するでしょうか?人が岩壁を登山 でのぼる途中に必死で咲く花を見たとき、大きな感動と勇気を花から与えてもらえるものです。そしていいます「見よ!この 花(人)を」と。 生まれ育ちの問題と並んで深刻なのは教育(学校)の問題です。皆様の中でも学校に行くことに意味を感じられない方がお られないでしょうか?学校とは何のために存在するのでしょう か。勉強?今は有名塾があり高度な受験テクニックを教えて貰えます。友達?携帯電話やメールでいつでも連絡はとれます。先 生?金八先生(少し古いですが)やGTOの鬼塚先生のような方 は国の定める指導要項の制約があり少なくなられました。いっ たいなんのために学校にいけばいいのでしょうか?難しい問いです。もし皆様が何か将来なりたい職業があるならば、そこに 辿り着くまでの手段みたいなものとお考えになられるのも一つ の方法です。しかし究極的な学校に通う意味は学校という共同社会のなかで人と人の間であるいは普段の授業やテストなどの 試練に耐える能力みたいなものを養われることにあるのではな いでしょうか?もちろん目的があって学校にいかず自分のやり がいのあることをする、それも間違いではないでしょう。しか し人がやりがいを感じることは、結局はなにかあることを通じ て人に関わることに在するのではないでしょうか。直接的な意 味ではないにせよ、学校という共同社会に皆様が関わられるこ とは将来役に立つのかもしれません。 |